初代所長 川原田陽一
大正7年7月30日/川原田英次郎、ハルの三男として佐賀県に生まれる 昭和17年9月25日/早稲田専門学校政治経済科卒業(24歳) ※※※『会員名簿』平成2年度版 本文編T[明治18年〜昭和44年]早稲田校友会編152頁。 同書860頁、“卒業生員数表”によると、昭和17年〜20年は、政治経済科、法科、文科、商科、理工科とも9月卒業となっている。 こうした事情につき、『早稲田大学百年史』第四巻、第八編決戦態勢・終戦・戦後復興 に詳しい。 昭和20年8月15日/山形県神町航空隊にて終戦(27歳) 昭和25年6月27日/国税調査官採用試験合格 昭和25年8月15日/京橋税務署直税課資料源泉税係勤務(32歳) 昭和46年8月27日/税理士登録、東京都足立区千住2−62月岡ビル3階に事務所開設(53歳) ※※※1階はパチンコ屋、2階は麻雀屋、周囲は飲屋街 昭和46年12月10日/宅地建物取引主任主任者 昭和51年12月18日/西念寺にて、父川原田英次郎(献公院篤誉英明居士/けんこういんとくよえいみょうこじ)三十三回忌、母川原田ハル(松誉妙貞大姉/しょうよみょうていだいし)五十回忌法要 昭和54年9月20日/国税不服審査で、『(雪谷税務署長の)原処分の全部を取消す』(納税者全面勝利)との裁決を得る。(61歳) ※※※「空地を譲渡した場合は、取得に要した借入金の利子は土地の取得費に算入すべきであるとした事例」裁決事例集NO17、17頁以下 この採決の後、所得税基本通達38−8に、括弧書きとして、(当該固定資産の取得後、固定資産をを使用しないで譲渡した場合においては、当該譲渡の日。・・・)と追加されることになった。 ※※※『川原田財経租税相談所』を屋号としていた。いつからいつまでなのか、現在調査中。 昭和50年5月に協議の関与先遺産分割協議書が『川原田財経租税相談所』の封筒に入っていた。 同封筒の印刷は、〒120であり、電話が(888)4211であった。 昭和58年6月12日/足柄森林カントリ−倶楽部“金時会”より、『早く良くなって下さい。グリーンで待っています』の色紙を拝受。(このころ病気をし、ゴルフができなかった)(64歳) 平成5年8月2日/東京都足立区千住仲町19−6−303に事務所移転 平成6年8月30日/没(享年76歳) 平成7年9月2日/源覚寺(通称こんにゃくえんま)にて、一回忌法要 平成7年10月8日/西念寺にて、納骨式。 平成8年8月3日/西念寺にて、三回忌法要 平成12年7月2日/西念寺にて、七回忌法要 平成18年8月26日/西念寺にて、十三回忌法要 |
↑ 『パイプを燻(くゆ)らす初代所長』川原田一尋画(1973年)
菩提寺/西念寺(浄土宗)佐賀県佐賀市長瀬町2−24
分骨寺/源覚寺(浄土宗)東京都文京区小石川2−23−14
戒名/植徳院安誉顕陽居士(じきとくいんあんよけんようこじ)
↑高野山慰霊塔/平成15年9月13日撮影
法規通達集こそ最高の参考書だ
※※※よく口にしていた。
枯れ木(職員)も山の賑わいかな
武士(税理士)は食わねど高楊枝
朝を制する者は、人生を制す
ゴルフ、麻雀
※※※ある方からご指摘いただきましたが、初代所長は昭和46年8月に開業した頃には、麻雀はしなかったそうだ。麻雀は税務職員時代に親しんだことになる。 |
参照サイト
www.yasukuni.or.jp/ 靖国神社 |
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www.jodo.or.jp/ 浄土宗 |
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www.heiwakinen.jp/ 平和祈念展示資料館 → 戦争体験の苦労が分かる。 |
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www.showakan.go.jp/ 昭和館 → 戦中戦後の苦労が分かる。 |
www.as-cc.co.jp/ 足柄森林カントリー倶楽部 → 初代所長は、富士山を眺めながらのプレーが気に入っていた。 |