関与先企業の繁栄を求めて |
私は東京で生まれましたが、父も母も佐賀県出身であったため、小さい頃は、佐賀で過ごすことが多くありました。このころの私の特技は、飲食店に入ると、 「この店はなかなかだ」とか 「この店はダメだ。潰れるかもしれない」とか 予想を立てていたことです。 とりわけ、私が潰れる予想をした飲食店は、早晩潰れることが多かったので、私の父は、 「かずひろには恐ろしいところがある」と母に言っていたそうです。 父は終戦後、たまたま求人広告を見て、税務職員になりました。しかし、思うような出世ができないことや上司の機嫌を取って仕事をすることに嫌気がさし(推定)、税務署を中途退職し、税理士になりました。 税理士になった父は、思う存分手腕を発揮できたようです。税務署相手の不服審査では全面的に勝ちました。(初代所長川原田陽一の部屋 参照) 「かずちゃん、『かずひろは税理士事務所を継ぎたくないと言っているんだ』と言って、一兆寿司(北千住)で、お父さんは泣いていたぞ」と関与先から言われました。 親をそこまで悲しませて、別な仕事に就いても、大した仕事はできないと私は思いました。 こうして、父が強く希望したので、私は、税理士になりました。 |
私、税理士 川原田一尋は、東京都北区滝野川に住んでおります。 桜の名所として知られた、飛鳥山公園を通って、自宅より王子駅まで歩き、JR京浜東北線に乗ります。 南浦和駅でJR武蔵野線に乗り換え、吉川駅まで行き、川原田会計(川原田一尋税理士事務所) (埼玉県吉川市平沼1−10−7)に通っています。 (基本的には、JR北千住駅まで通っていたときの話であるが、 現在に合わせ、JR吉川駅(吉川市木売1丁目)までとして、記載しています) この飛鳥山公園内には、渋沢資料館があります。 渋沢資料館には、日本に近代的経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840年〜1931年) の諸資料が展示されています。 ここを、渋沢栄一は最初、別荘として、後に、本邸としていました。 小学生の頃、ここでよく遊びました。 |
渋沢栄一は、1840年、現在の埼玉県深谷市に生まれました。 若い頃、倒幕攘夷をめざし、高崎城を乗っ取る計画しましたが、未遂に終わりました。 このため、京都に逃げ、一橋慶喜に仕えました。 ここで、パリ万国博覧会に行く機会を持ちました。 その後、大蔵省の事務次官として活躍しましたが、政府の側からの国づくりに限界を感じ、 1873年に官職を辞職しました。 民間人となり、多方面にわたる株式会社の設立に助言し、 経営指導に努力し、関係した企業は、実に500にもなると言われています。 しかも、こうした企業は、現在の王子製紙、日本赤十字社、日本郵船、帝国ホテル、東京ガスなど、 錚々(そうそう)たる企業に成長発展しています。 また、関係した団体は、600にも及ぶと言われています。 この団体には、現在の一橋大学や日本女子大が含まれています。 |
私、税理士、川原田一尋が、税理士登録をしたのは、平成5年(1993年)6月で、 ちょうどバブル経済が崩壊、規制緩和政策が採用され、経営不振に陥った関与先企業から、 経営上の相談が多くよせられました。 確かに、経営学専攻で大学院にまで行きましたが、実務的な経験があまりなく、 したがって、効果的なアドバイスができませんでした。 渋沢栄一の爪の垢(あか)程でも能力があるならば、関与先企業の相談に十分に応えら れ、 喜ばれるだろう、と思いながら、長い間、渋沢資料館の横を通っていました。 |
なぜ、渋沢栄一にこれだけのことができたのでしょうか? |
/渋沢資料館前にて、右側の石像は渋沢栄一です。 |
特別に優秀だったと言ってしまえば、それまでですが、その理由を考えることは役に立つことでしょう。 まず、第一に、渋沢栄一の経理能力です。 パリ万国博覧会へ行ったときには、徳川昭武の巡回旅行を分割することによって、 経費削減を実行するなど、資金全体をよく見ています。 第二に、渋沢栄一の企画力です。 子供の頃、藍の買いつけをするとき、葉の品定めをし、大人を面白がらせて、 上質の葉を安く仕入れたことなど、非凡な才能があります。 この企画は、実家の仕事を十分に観察することから、生まれたものです。 第三に、渋沢栄一の実行力です。 無法の評判が高い、幕府の家来の大沢源次郎という人の屋敷を取り調べる際、 新撰組の土方歳三らは屋敷の外に待機させ、自分一人入ってしまった度胸。 第四に、渋沢栄一の道徳経済合一説です。 これは、企業経営をする際に、渋沢栄一が『論語』にヒントを求めたというものです。 仁義道徳と生産殖利とはまったく合体するものである、とする立場です。 自分だけが有利な経営戦略ではなく、競争相手にも喜んでもらえる経営戦略を考えるべきです。 戦うのは、競争相手ではなく、時代や経済の大きな流れと考えるべきだというのです。 |
正しい経営理念(道徳経済合一説)を掲げ、株式会社制度を活用し、経営にとって大切な資源を きわめて上手に結合させたことが、これだけの成功の決め手だと思います。 |
私、税理士、川原田一尋は、こうしたことに何を学ぶべきなのでしょうか? まず、第一に、関与先企業に経理能力を身につけてもらうことが大切だと思っています。 帳簿をつけることは商人の義務として記帳指導する、会計事務所(税理士事務所)があります。 しかし、川原田会計(川原田一尋税理士事務所)は、関与先企業が帳簿をつけないことには、 財政状態や経営成績の把握に時間を必要とし、しかも、不正確なものしか得れないということから、 記帳指導しています。 川原田会計(川原田一尋税理士事務所)の提案する記帳方法は、工夫され、簡略化されています。 |
第二に、企画の点ですが、川原田会計(川原田一尋税理士事務所)は、 関与先企業や置かれた業界を十分に観察、検討、吟味の上、所長が中心になって、 何らかの企画を打っています。 会計事務所の場合、関与先企業より相談を受けることが多いものです。 それに対する当事務所のスタンスは、ポピュレーションエコロジーです。 人や企業はなかなか変化するものではありません。 しかし、このことは、変化を諦めることではなく、少しずつは変化するとの認識です。 |
第三に、実行の点ですが、勇気をもって社長に接するしかないと思っています。 社長というのは、どんな企業であっても、一国一城の主で、ご自分なりの意見、信念を持っています。 だからと言って、周囲の人間が、当たり障りのないことばかりを言っていたらどうなるのでしょうか? 会計事務所(税理士事務所)は、十分な研究のもとに、意見を表明すべきでしょう。 真摯な意見であれば、一国一城の主だからこそ、耳を傾けてもらえると思います. |
以上まとめれば、川原田会計(川原田一尋税理士事務所)は、お客様のところへ伺い、 帳簿組織(自計化)指導をし、 正しい経営理念をお客様とともに練り、税金対策や販売対策等の経営に関するご相談に応じ、 お客様とともに歩むというのが、川原田会計(川原田一尋税理士事務所)だ、ということになります。 |
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